赤谷峠・清根坂

赤谷峠・清根坂(2016..9.21)

赤谷峠と清根坂は、山々に囲まれていた鯖江市河和田の人々が他の地域に出ていくために通らなければならなかった峠。その数は10を超える。河和田は昔も今も漆器が有名で、これらの峠を漆掻きが行き交ったという。赤谷峠については、その位置を特定するために何度も足を運んでいたが、その目的を達成できないでいた。しかし、地元の方から頂いた情報により、今回ようやくその位置を確定することができた。

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ここが赤谷峠

昔、赤谷峠があったところには現在は林道が出来上がっており、残念ながら昔の姿をとどめていなかった。しかし、そこから降りて行く斜面にはしっかり昔の峠道の痕跡が残っていた。

>>今回移動したルート



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桃源清水
河和田はその中心を流れる河和田川が造った細い谷に沿って発達した街。その川に沿って車を走らせる。民家がなくなり、山の中をさらに進むと、桃源清水が現れる。清水は普通はしみずと呼ぶが、福井ではしょうず。石川県加賀市あたりでは生水と書いてしょうずと読ませる。ここを右に進めば折立峠。左に行けば赤谷峠だ。昔はどちらを通っても山を越えて美山側に出られた。しかし、今は折立峠のほうにしか車道がなく、赤谷峠を車で越えることはできない。赤谷峠は平家の落武者伝説がある赤谷集落の人々がよく使った峠だったようだ。

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林道分岐(上河内の薄墨桜の案内板)
桃源清水から左の林道を進む。この林道はほとんどが舗装されており、一般車でも十分に走れる。20分ほど走ると尾花キャンプ場(禅定神社)のほうからくる林道にぶつかる。ここには上河内の薄墨桜の看板がある。ここを左折する。右に進めば悪路だが折立峠のほうに行ける。

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赤谷峠(左が河和田側・右が赤谷側)
分岐から5分ほど進み、林道が尾根上を走るようになると、赤谷峠が現れる。ここにはそれほど大きくないが一本杉が立っていた。この場所には何度か来ているがここが峠だとは解らなかった。林道工事で残念ながら、昔の姿はとどめていない。しかし、河和田側にはしっかりした道の跡が降りて行っていた。赤谷側も覗き込んだが道の痕跡は見当たらなかった。今日は山歩きの格好をしてこなかったので、探索はしなかった。ここに昔はお地蔵さんがあったというが、上河内の人に聞いたら、赤谷の人が降ろしたのではないかということだった。最近まで祠だけ残っていたというが、それも見当たらなかった。

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赤谷峠の小さな標識
あったのは小さな標識だけだった。この標識がなければ赤谷峠を特定できなかっただろう。

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赤谷峠道(三場坂清水)入口
来た道を戻り、昔峠道があったあたりを見に行くことにした。上記のところを左に入って行ったところに昔は峠道があった。

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三場坂清水
すぐに右手に三場坂清水が現れた。

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工事中の堰堤
三場坂清水からさらに林道を進んでいくと、上記堰堤で道はなくなった。この堰堤を越えて、道が続いていたはずだ。この堰堤は工事中で、工事現場の人に聞いたら、それらしき道跡が残っていたと言うことだった。なお、このあたりの観光案内を見ると三場坂清水から継体天皇ゆかりの薄墨桜に上っていく登山道があったことになっており、昔の峠道の一部はその登山道として使われていたようだ。今その跡を辿ろうとすればこの堰堤を越えていくしかない。

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清根坂入口
三場坂清水から少し戻ったところに清根坂に上っていく道がある。上記写真は河和田側から見たもので、清根坂へは中央の細い道を右に入って行く。10年ほど前に来た時にはここに標識があったと思ったが、なくなっていた。

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車道上にある現清根峠
車道はそれほど手入れが行き届いているとは言えないが、すべて舗装されている。峠までは5分ほどだ。

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清根坂(旧峠)に上っていく道
現清根峠を回り込み、清根側のほうに行ってみると、尾根に上っていく細い踏み跡があり、そこを登っていくと昔の清根坂の峠が現れた。


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清根坂
稜線が4,5mほどえぐられており、幅も7,8mはある立派な堀切の峠だ。昔はかなり使われた峠だったようだ。

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車道から見上げた清根坂
予想していた以上に立派な峠だ。ここを越えて左折、さらに清水谷坂を越えれば池田に出られた。近年になってそこには清水谷隧道(トンネル)が掘られたから、かなり通行量があったのかもしれない。

>>詳細記録(U字倶楽部)へ

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.21 2016 峠歩き comment4 trackback0

comment

すいません ちいさんで
ありがとうございます。50年ちかく前に 赤谷出身の祖父に連れられ服間から赤谷に行った道なのかもしれません。当時幼すぎた私は、清水谷峠を行ったものだと思ってました。懐かしくて、この記事がアップされるのを楽しみにしておりました。本当にありがとうございます。
2016.09.23 12:49
ジーアイシュー
初めまして。そうですか、50年前はまだ歩けたんですね。服間からですと清根坂、赤谷峠を越えて行ったということでしょうか。その頃はまだ赤谷峠は林道工事により削られてなかったと思うのですが、やはり堀切の峠だったのでしょうか。

これからしばらくは、暇と体力があれば、河和田周辺の峠を巡ろうかと思っていますので、よろしければ見て頂ければと思います。
2016.09.23 15:46
すいません ちいさんで
 言葉足らずですいません。服間から耕運機の荷台に乗って行きました。どの道かはわかりません。なぜあんなに遠い所から祖父は縁があって来たのか不思議でしたが、山道がつながっていたと判って興奮してしまってコメントしてしまいました。(かなり前の事で記憶もあやふやなのに)平家ゆかりの村人(親戚)も火事で村をおり、福井や丸岡に出ています。代もかわり縁も遠くなり寂しく思っていたので、懐かしさでわれを忘れました。
 その祖父の妹が河和田(河内)に嫁いでいらして、清根~河和田の林道はよく利用していました。その林道さえ数年前、車で通ってみたら随分と荒れ果てていて悲しくなりました。(ここも赤谷に近いんですね)
 前回のレポートから時間がかかっていらっしゃるのは、お体の調子がよろしくないとかでは?待つのは得意です。無理をなさらずにお願いします。何度でもここに見に来ます。
2016.09.26 17:15
ジーアイシュー
再度の書き込みありがとうございます。
そうなんですよね。谷沿いの村を山に向かって車を走らせていると、こんな山奥なのに立派な家が道沿いに並び、なんか街道の雰囲気がある。道も結構立派だ。しかし、道は村の奥でぷっつり途切れてしまう。ここが終点で、この村はこの谷間で閉鎖的に暮らしてきたんだなと考えてしまう。

そんなところに大きな庄屋さんの家や神社やお寺がある。なんでこんな不便な一番奥にあるのだろうと、不思議に思ってしまう。しかし、そんなところには決まって昔は山越えの峠道があった。山向こうの村と交流があった。そういった村で、道を歩いていたおばあちゃんに話を聞くと、「私は山向こうの村から嫁いできたんだ」という話をよく聞く。決して、閉鎖的に暮らして来たのではない。昔はそこがメインストリートで、多くの人々が行き交っていたんだろうと想像してしまうのです。

また覗いてみてください。


2016.09.26 18:40

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