河和田の峠考
近くまで行く用があったので、久々に県立図書館に行く。ここには古い国土地理院の地形図があり、先日、踏破した鯖江市河和田地区にある11の峠を再確認してみた。そうしたところ、いくつか疑義が出てきたので、ここでご報告したいと思います。河和田の峠行で参考にしたのは「
河和田村略図」。これは鯖江市のHPに載っていたもので、出典は「河和田の昔ばなし」。これをもとに「
河和田の峠マップ」を作成して、峠行を決行したが、「
河和田村略図」はアバウトなので、いくつか疑問点が出てきた。
樫尾坂と寺地坂(出典:国土地理院1/25000地図「河和田」昭和22年発行)
まず第一点は樫尾坂と寺地坂。上記地図を見ると、寺地坂と思ったところに東樫尾から道が上がってきており、寺地からの峠道は表示されていない。
河和田村略図にはこのあたりに二つの峠が記載されており、両者の位置はそれほど離れていないように記載してある。私は赤線のように寺地から峠道が上がってきていたと推測し、お地蔵さんがあった所を寺地坂とした。また、樫尾坂は青線のように一本西の谷筋を通っていたと考えた。実際その場所に切通しの峠があったのだが・・・。どなたかこの峠について詳しい方がおられたら、ご一報いただけると幸いです。なお、猫坂はこの地図には記載されていない。「河和田村誌」を読むと、猫坂の記載はなく、領家坂の名前が見られたから、猫坂とは領家坂のことだと思われる。
砥山坂(出典:国土地理院1/25000地図「河和田」昭和22年発行)
第二点は砥山坂。砥山のすぐ東の尾根に鯖江市のほうから道が上がってきているところが砥山坂だと推定したが、福井市側からの道は途中で途切れている。ここから南東の尾根筋にも峠道が上がって来ている。この道は鯖江側では殿上山の登山道、また鉄塔巡視路として使われており、一部歩いたことがある。深く掘れた古道然とした道だが、砥山坂と名乗るには砥山から少し離れすぎているように思うから、砥山のすぐ東の地点が砥山坂の峠だとみていいのではないだろうか。この地図が発行された時点ではもうこの峠道は廃道となっていたのだろう。
城山から河和田に至る道(出典:国土地理院1/25000地図「河和田」昭和22年発行)
最後は疑問点ではないが、
西山坂に行くときに迷い込んだ尾根に見つけた古道について、上記地図を見るとしっかり道が記載されている。この地図では途中で道が尾根筋から両谷筋に下りているが、もっと古い地図にはずっと尾根筋を河和田に下りて行くようになっていた。
以上3点について気が付いたところをご報告したが、他にも疑問点があればご一報いただければありがたいと思います。この地図を見ると、河和田には11の峠以外にも、たくさんの峠道が記載されているし、この地図に載っていない峠もある。人々は歩きやすいところを通って山の稜線を越え、交流していたと言ってもいいのではないか。峠道も盛者必衰の理ではないが、古いものが歩かれなくなったり、新しいルートが開発されたりと、その時代によってルートが様々に変化していたと思われる。
スポンサーサイト
trackbackURL:https://giwonderworld.blog.fc2.com/tb.php/111-219c479f