油坂峠

油坂峠(2013.10.29)

油坂峠は越前と美濃を結んだ重要な峠。いずれは訪れないといけないと思いながら、延び延びになっていたが、この峠には旧道から簡単に行けると聞いていたので、足が完治せず本格的な山登りが出来ないこの機会を捉えて、行ってみることにした。 
 
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名号搭が建つ油坂峠
油坂峠は私の住む坂井市からははるかに遠い。途中九頭竜湖の道の駅で一服し、2時間半かけて、ようやく国道158号線の旧道にある油坂トンネルにやって来た(なお、このトンネルの下に油坂峠道路が完成してから、この油坂トンネルを越える道は旧道と呼ばれているが、実際はまだ現役の国道158号線である。しかし、ここでは慣例に従い旧道と呼ぶことにする)。しかし、峠の入口が解らない。旧道沿いに「蝶の水」と書かれた案内板があるはずなのにそれが見当たらない。それで、トンネルの福井県側口の近くから右に延びている林道があったので、そこを歩いてみたが、一向に峠のほうに向かわないので、すぐに引き返してきて、もう一度旧道沿いを調べることにした。

>>今回歩いたルート

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油坂峠入口(福井県側)
そうしたら、トンネル入口から2、300m戻ったところにその入口はあった。

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「蝶の水」案内板
案内板が倒れていたので、気が付かなかったのだ。なお、上記写真では小さくてよく解らないが、写真の右上隅に赤字で油坂と書かれた小さな石柱もあった。

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峠道の様子
さすが越美国境を越える重要な峠だっただけあって、峠道に入ると、かなり幅の広い道が続いていた。狭いところでも少なくとも一間(約1.8m)の道幅は確保されていたようだ。道はよく整備されている。それに傾斜も少ないので、非常に歩きやすい・・・油汗を流して登るほど急だったから、油坂の名が付いたと言うがそれは岐阜県側の峠道のことで、福井県側は緩やかな坂が続いていた。

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峠手前の平坦地(石碑は峠の清水句碑)
10分ほどで、石碑が建つ広い切り開きがあるところに着いた。この辺りは不自然に山の斜面が削られており、昔から大規模な土木工事が行われて来たようだ。

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清水の句碑
石碑の横に湧水があるが、この石碑には「蝶の水」と呼ばれるその湧水のことを詠った句が刻まれていた。年号を見ると文政4年(1821)となっていたが、それにしては新しすぎる。後で調べたところ、昔の句碑は平成になって誰かによって持ち去られてしまい。最近建て直されたものだと解った。

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名号搭
清水の句碑の少し先には南無阿弥陀仏の名号搭があった。それには安政の年号が入っていたが、彫られた文字が薄く、安政何年かは読み取れなかった。なお、安政年間は西暦1854~1860年となる。これは道中の無事を祈って建てられたものであるようだが、謂われはよく解らない。

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峠周辺の様子
名号搭の後ろの稜線が越美国境の尾根だと思われるが、尾根の片側が削られまっすぐな道が付けられていたから、これも土木工事の跡だと思われる。

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越美国境尾根を越える峠道
名号搭から数十m行った先で峠道は、越美国境と思われる尾根を切通しで越えていた。ここがこの峠道で一番標高が高い地点なので、狭義の油坂峠だと言うことになるが、この峠は規模が大きく、石碑がある辺りからこの切通しまでの全体を峠とすべきだろう。

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岐阜県側に降りて行く峠道
岐阜県側に降りて行く道も深く掘られており、歴史の古さを感じることが出来たが、福井県側に比べれば道は狭いように思われた。また、掘れた峠道には落ち葉や小枝が積み重なり、道は少し荒れ気味だ。名のある峠だから、良く整備された道が続いていると思っていただけに、少し不安になって来た。今日は登山靴だけは持って来たが、ちゃんとした登山用の格好をしてこなかったのだ。

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薮に埋もれた峠道
その不安が的中。更に降りて行くと、全くの薮道となった。下草が刈っていないどころか、灌木が道を覆っていたから、岐阜県側はここ何年も手が入っていないようだった。道跡も解りづらくなり、下の道型を確認しながら降りて行かねばらなくなった。途中、急坂をつづら折りに降りて行くところがあったが、その辺りでは道がかなり細くなっているところもあった。油坂峠のような歴史的に見て重要な峠が、これほど見過ごしにされているとは、ちょっとショックだった。

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岐阜県側の峠入口
しかし、すぐに下に旧道が見えてきたので、そのまま我慢して降りて行くと、旧道のり面に造られた峠入口に出た。こちらも10分ほどで降りて来てしまった。そこには福井県側より立派な標識があり、「越前街道油坂峠、蝶々清水に至る」と書かれてあった。越前側ではこの道を美濃街道と呼び、美濃側では越前街道と呼んでいたのだろう。なお、今降りてきたところの旧道(国道158号線)から崖下を見たところ、道のような平坦地がトラバース気味に右のほうに続いていたから、峠道の続きだと思われる。

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油坂トンネル
最初は今登って来た峠道を戻るつもりだったが、もう藪漕ぎはご免だったので、旧道を歩いて戻ることにした。峠入口から油坂トンネルの岐阜県側口までは300mほどだった。なお、上の写真には写っていないが、この手前に大きな栃の木がある。旧い峠道はその辺りを通っていたということだから、先ほどの峠道の痕跡は急斜面をトラバース気味にここまで進んできたということになる。旧い峠道はそこからトンネルの南側の尾根に取り付き、そこをつづら折りに白鳥町向小駄良まで降りて行ったようだ。なお、この辺りの峠道は崖のような急斜面に造られており、一番の難所だったようだ。油坂トンネルはもっと狭く、もっと薄暗いイメージを持っていたが、トンネル入口にあった銘板を見たら1999年に改修されており、内部は綺麗だし、十分な幅があった。また、トンネルの全長も170mほどしかなく、反対側のトンネル口が見通せた。トンネルを歩いて、先ほど登って来た福井県側の峠道入口に戻った。先ほどは解らなかったが、峠入口の反対側ののり面にあった尾根筋に上がってみたら、掘れた立派な峠道の続きがあるのを発見した。そこを少し降りて行ったがここでは長くなるので、そのリポートは後日U字倶楽部にアップしたいと思います。

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向小駄良番所跡(郡上市白鳥町向小駄良)
この日はもう一つの目的があった。越前と美濃の間の人やモノの出入りを厳しく取り締まった関所跡を見ることだ。その関所は峠から降りていった最初の集落である、向小駄良(むかいこだら)と言うところにあり、向小駄良(むかいこだら)番所跡と呼ばれている。その番所跡を見るべく、車で旧道を白鳥のほうに向かう。途中に国道158号線の旧々道と思われる道が分岐していたので、そちらを通って白鳥の町に降りて行った(その道は後で調べたところ、やはり旧158号線で間違いないことが解った。つまり美濃街道はここを通っていたのである)。白鳥の町はもっと小じんまりした狭い谷底にある田舎町かと思っていが、想像以上に広々とした空間が広がる、都会的な街だった。車で市内をぶらつき、向小駄良番所跡を捜すが解らない。市内にあった観光地図を見ても載っていない。番所跡を見に来る人間などほとんどいないのだろう。それで、誰かに聞くしかないと国道沿いにあった白鳥物産センターを覗くと、観光案内所があったので、そこで聞いたらようやく場所が解った。向小駄良番所跡に行くと、昔の番所(関所)跡が復元されており、その前には石畳の道があった。この石畳の道が昔の峠道だったようだ。この後、白鳥の商店街にも行ってみたが、旧い街道沿いに昔ながらの商家が保存されており、良い雰囲気を醸し出していた。その上、その商店街は幾重にも重なっており、想像以上に大きな商圏がここにあったことが解った(しかし残念ながら、今はしもた屋風の建物が多かった)。白鳥は越前から来る美濃街道と飛騨高山に向かう街道、また白山に至る街道が交差する、文化やモノが滞留する豊かな地だったのだ。この日はこの他にも想像以上に大きな収穫があり、簡単にそれらをまとめられないので、後日U字倶楽部のほうで詳しくお伝えしたいと思います。 

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.01 2013 峠歩き comment0 trackback0

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福井県内を中心とした山・峠・古道歩きをやっています。姉妹サイトU字倶楽部の速報版的サイトです。また、同サイトで扱わなかったちょっとした山歩き、ピークハントに失敗した山行き記録などを載せて行くつもりです。

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